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2025年09月08日

知られざるエルメス バーキン初代モデルの秘密

三重県津市丸之内のブランド品・貴金属・高額買取専門店の

『ブランドハット』のブログをいつもご覧いただき、ありがとうございます。

本日は、「知られざるエルメス バーキン初代モデルの秘密」についてご紹介します。

 

エルメスを代表する名品として世界中で愛されるバーキンバッグ。その誕生から約40年が経ち、今や最も憧れられる高級バッグの代名詞となりました。しかし、最初のバーキンバッグがどのようなものだったのか、そこにどんな想いが込められていたのかについては、意外と知られていません。初代バーキンに込められた物語と秘密を紐解きながら、その魅力の源泉に迫っていきましょう。

初代バーキンに込められたジャン=ルイ・デュマの想い

運命の出会いから生まれた革命的デザイン

1984年、パリからロンドンへ向かう飛行機の中で運命的な出会いが起こりました。英国出身の女優ジェーン・バーキンと、エルメスの当時の社長ジャン=ルイ・デュマが隣の席に座ったのです。この偶然の出会いが、ファッション史に残る伝説的なバッグの誕生につながることになります。

ジェーン・バーキンが持っていた麦わらのカゴバッグから中身がこぼれ落ちるというハプニングをきっかけに、二人の間で理想のバッグについての会話が始まりました。「週末に使える大きめの革のバッグが見つからないのよ」というジェーンの嘆きを聞いたデュマは、機内で即興的にスケッチを描き始めました。エアシックネス袋(機内で気分が悪くなった時用の袋)の裏に描かれたそのスケッチが、初代バーキンの原型となったのです。

デュマがこの瞬間に示したのは、単なる商機の発見ではなく、使い手の声に真摯に耳を傾ける姿勢でした。エルメスの第5世代として1951年に生まれたジャン=ルイ・デュマは、1978年から2006年までエルメスのCEOを務め、伝統と革新のバランスを大切にした人物として知られています。彼は馬具メーカーとして創業したエルメスを、世界的なラグジュアリーブランドへと成長させた立役者でもありました。

デュマが初代バーキンに込めた想いは、「実用性と美しさの融合」でした。それまでのエルメスのバッグは美しくても必ずしも機能的ではないものも多く、特に若い母親であったジェーン・バーキンのような現代女性のニーズに応えるものではありませんでした。デュマはジェーンの「赤ちゃんのボトルも入れられて、肩にかけられて、中身が全部見えるバッグが欲しい」という具体的な要望を、熱心に聞き入れたのです。

 

革新的発想から生まれた初代バーキンの特徴

初代バーキンの特徴は、まさにジェーン・バーキンの要望を具現化したものでした。大きく開く口、容量たっぷりの実用的な内部空間、そして両手が空くように設計されたダブルハンドル。さらに、当時としては革新的だった「置いたときに自立する」という機能性も備えていました。

初代バーキンは黒い柔らかい革で作られ、サイズは現在のバーキン35に近いものでした。デュマはジェーン・バーキンのために特別に製作したこのバッグに、彼女の名前を冠することを提案しました。「エルメス・バーキン」という名前の由来はここにあります。

デュマがこだわったのは素材の質と職人技術でした。初代バーキンには最高級の仔牛革が使用され、エルメスの熟練職人が一つ一つ手作業で仕上げました。南京錠と鍵、そして特徴的な留め具(ツイスト錠)は、馬具メーカーとしてのエルメスのルーツを感じさせるデザインでした。

特筆すべきは、初代バーキンには現代のバーキンには見られない独自の特徴がいくつかあったことです。例えば、内側のポケットの配置や数、ステッチの間隔などは、初期のモデルならではのものでした。また、初代バーキンの底部には保護用の金属製の鋲(びょう)が付いていましたが、これは後のモデルでは革の足に変更されています。

デュマが初代バーキンに込めた最も重要な想いは、「時代を超えて愛されるタイムレスなデザイン」でした。トレンドに左右されず、年月を経るごとに味わいが増し、世代を超えて受け継がれるバッグを作りたいという彼の願いは、見事に実現しました。初代バーキンから約40年経った今でも、そのデザインの本質は変わらず、むしろその価値は高まる一方です。

 

初代バーキンにまつわる知られざるエピソード

初代バーキンにまつわる興味深いエピソードの一つは、ジェーン・バーキン自身がこのバッグをどのように使っていたかという点です。ジェーンは当初、デュマから贈られた初代バーキンを愛用していましたが、「あまりにも重すぎる」と感じることもあったようです。彼女は自分のバーキンをカスタマイズし、ステッカーやお守りなどで飾り付けることを好みました。これはハイブランドのバッグを「神聖視」せず、自分らしく使いこなす彼女の自由な精神を表していました。

また、デュマはジェーン・バーキンだけでなく、彼女の娘シャルロット・ゲンズブールのためにも特別なバーキンを製作したというエピソードも残されています。ジェーンのために作った初代バーキンの成功を受けて、デュマは家族への思いやりも示したのです。

初代バーキン製作の背景には、1980年代のエルメスが直面していた変革の時代という文脈もありました。デュマはエルメスの伝統を守りながらも、時代のニーズに合わせて革新する必要性を強く感じていました。初代バーキンは、伝統と革新のバランスを取るという彼の経営哲学を体現した製品だったのです。

驚くべきことに、初代バーキンはその後のファッション界に多大な影響を与えることになりますが、デュマ自身はその成功を予測していませんでした。彼は単に、飛行機で出会った魅力的な女性の要望に応えようとしただけだったのです。この「偶然から生まれた成功」というストーリーこそが、バーキンバッグの魅力をさらに高める要素となりました。

初代バーキンが製作された当時のエルメスの工房では、まさか後にこのバッグが世界で最も入手困難なラグジュアリーアイテムになるとは誰も想像していなかったでしょう。しかし、デュマの審美眼と洞察力、そして職人たちの卓越した技術によって、初代バーキンは既にその誕生時点で後の伝説となる要素をすべて備えていたのです。

 

 

ヴィンテージバーキンが語る初期デザインの魅力

初期バーキンの特徴的なデザイン要素

ヴィンテージバーキン、特に1980年代後半から1990年代初頭にかけて製作された初期モデルには、現在のバーキンとは異なる独特の魅力があります。それは時を経るごとに深まる革の風合いや、当時の職人の手仕事の痕跡、そして現代のモデルとは微妙に異なるデザインディテールに表れています。

初期バーキンの最も特徴的な要素の一つは、革の質感でした。1980年代のバーキンには、現在では見られない独特の柔らかさと光沢がありました。特に初期のモデルに使用された仔牛革(ボックスカーフ)は、時間が経つにつれて美しい艶と深みのあるパティナ(経年変化による風合い)を生み出します。この自然な経年変化こそが、ヴィンテージバーキンの最大の魅力とも言えるでしょう。

初期バーキンのステッチにも特徴がありました。手縫いによる鞍縫いは現在のモデルでも続いていますが、初期のモデルでは縫い目の間隔や深さに職人ごとの個性がより強く表れていました。これは製作工程の標準化が現在ほど厳密ではなかったことを示しています。こうした「不完全さ」が、逆に一点物としての価値を高めているのです。

また、初期バーキンのハードウェア(金具)にも特徴がありました。現在のバーキンは通常、ゴールドまたはパラジウムの金具が使用されていますが、初期のモデルには真鍮の金具が使われていることもありました。これらの金具は時間とともに独特の風合いを帯び、ヴィンテージバーキンならではの味わいを生み出しています。

初期バーキンのロックシステムも、現在のものとは微妙に異なっていました。南京錠と鍵の形状や大きさは時代とともに少しずつ変化し、初期モデルのものは現在よりもシンプルでクラシックなデザインでした。また、クロシェット(鍵を収納する革のカバー)のデザインも異なり、より素朴で手作り感のあるものでした。

初期バーキンのもう一つの特徴は、内装のディテールです。ポケットの数や配置、そして内側の革の質感などは、時代とともに変化してきました。初期モデルは現在のものと比べると内部の仕切りがシンプルで、より実用性を重視したデザインでした。これはジェーン・バーキンの「使いやすさ」への要望を反映したものだったのでしょう。

 

ヴィンテージバーキンが持つ唯一無二の価値

ヴィンテージバーキン、特に初期のモデルが持つ価値は、単なる希少性だけではありません。それは時代の空気を纏い、使われた歴史を物語る「生きた証人」としての価値です。

初期バーキンが製作された1980年代後半から1990年代初頭は、グローバルラグジュアリーの概念が形成され始めた時代でした。バブル経済の絶頂期から崩壊までを経験したこの時代のバーキンバッグには、当時の社会や文化が反映されています。例えば、初期バーキンに使用された色は、現在のカラーバリエーションと比べるとクラシックで落ち着いたものが多く、黒、茶、ネイビーなどのベーシックカラーが中心でした。これは当時のファッション傾向を反映したものでもあります。

ヴィンテージバーキンの魅力は、その「一点物」としての唯一無二の存在感にもあります。同じ年に製作されたバーキンでも、使われ方や保管状態によって全く異なる表情を見せます。革は生きた素材であり、使う人の手の油や環境によって少しずつ変化していくため、長年使われたヴィンテージバーキンは、そのバッグだけの物語を持っています。

初期バーキンはまた、エルメスの職人技術の変遷を示す貴重な資料でもあります。時代とともに製作技術や素材は少しずつ変化しており、初期モデルには現在では見られない製法や細部の処理が施されていることがあります。例えば、初期のバーキンでは革の裁断方法や縫製技術が現在とは異なり、より伝統的な手法が用いられていました。

コレクターにとって初期バーキンの価値は計り知れません。特に1984年から1990年頃までに製作された初期モデルは、その希少性から高額で取引されることもあります。2025年7月には、ジェーン・バーキンのために作られた元祖バーキンバッグが、パリのオークションで8.6百万ユーロ(約16億円)で落札され、史上最も高価なハンドバッグとして記録を更新しました。

ヴィンテージバーキンの中でも特に価値が高いのは、「スタンプ」と呼ばれる製造年を示す刻印が初期のものであるバッグです。エルメスのバッグには、アルファベットと円で囲まれた記号が刻印されており、これが製造年を示しています。初期バーキンに見られる「A」や「B」などの初期のスタンプは、コレクターにとって特別な意味を持ちます。

 

初期デザインから現代へ – 変わったものと変わらないもの

初代バーキンから現在に至るまで、約40年の歴史の中でバーキンバッグのデザインは微妙に変化してきました。しかし、その本質的な魅力と価値は変わっていません。

変化した要素としては、まずサイズバリエーションの拡大が挙げられます。初期のバーキンは現在のバーキン35に近いサイズが中心でしたが、現在では25cm、30cm、35cm、40cmなど様々なサイズが展開されています。また、素材のバリエーションも大幅に増え、初期の仔牛革中心から、トゴ、クレマンス、エプソン、スイフトなど多様な革の種類が使用されるようになりました。さらに、エキゾチックレザー(クロコダイル、リザード、オストリッチなど)を使用したモデルも増加しています。

カラーバリエーションも大きく拡大しました。初期のクラシックカラー中心から、現在では季節ごとに新色が発表され、100種類以上のカラーが展開されるようになっています。また、ハードウェア(金具)のバリエーションも増え、ゴールド、パラジウム、ロゾゴールド、ブラッシュドゴールドなど多様な選択肢があります。

一方で、変わらない要素もあります。最も重要なのは、「一つのバッグを一人の職人が最初から最後まで作る」という製作哲学です。これはジャン=ルイ・デュマが大切にした価値観であり、現在も受け継がれています。また、鞍縫いと呼ばれる伝統的な縫製技術や、南京錠と鍵を使用したクロージングシステムなど、バーキンの象徴的なデザイン要素は基本的に変わっていません。

バッグの基本構造も初代バーキンから受け継がれています。大きく開く口、自立するフォルム、二つのハンドル、そして保護用の底鋲(現在は革の足に変更)など、ジェーン・バーキンの要望から生まれた実用的な機能は今も健在です。

初代バーキンから現代まで一貫しているのは、「最高の素材と職人技術による最高品質の製品」というエルメスの哲学です。ジャン=ルイ・デュマが初代バーキンに込めた想いは、40年を経た今も脈々と受け継がれています。

 

 

バーキン誕生の背景にあるエルメスの変革

伝統と革新の間でバランスを取ったデュマの戦略

初代バーキンが誕生した1980年代は、エルメスにとって重要な転換期でした。1978年にエルメスのCEOに就任したジャン=ルイ・デュマは、伝統的な家族経営の会社を現代的なラグジュアリーブランドへと変革する使命を担っていました。

デュマが直面していた課題は、エルメスの伝統的な価値観と職人技術を守りながら、変化する時代のニーズに応える新しい製品を生み出すことでした。彼はエルメスの歴史と文化を深く理解し、尊重していましたが、同時に革新の必要性も強く感じていました。

バーキンバッグの誕生は、このデュマの戦略が見事に具現化された例と言えるでしょう。ジェーン・バーキンとの偶然の出会いをきっかけに生まれたこのバッグは、エルメスの伝統的な職人技術と素材へのこだわりを維持しながらも、現代女性のライフスタイルに合わせた実用性と美しさを兼ね備えていました。

デュマは初代バーキンの製作にあたり、エルメスの職人たちに「革新的でありながらも、エルメスらしさを失わないバッグ」を作るよう指示したと言われています。彼が求めたのは、流行に左右されない「タイムレスなデザイン」でした。このビジョンは見事に実現し、バーキンバッグは40年近くを経た今も色褪せることなく、むしろその価値を高め続けています。

 

馬具メーカーからラグジュアリーブランドへの変遷

エルメスは1837年、馬具メーカーとしてパリで創業しました。19世紀から20世紀前半にかけて、エルメスは欧州の王室や貴族に最高級の馬具を提供する名門企業として名を馳せていました。しかし、自動車の普及により馬車の時代が終わると、エルメスは新たな活路を見出す必要に迫られました。

1920年代から1930年代にかけて、エルメスは革製品、スカーフ、時計などの製品ラインを拡大し、ファッションアイテムを手がけるブランドへと徐々に変化していきました。この時期に生まれたケリーバッグ(当初はサック・ア・デペッシュと呼ばれていました)は、後にモナコ公妃グレース・ケリーが愛用したことで有名になり、エルメスを代表するアイコンバッグとなりました。

ジャン=ルイ・デュマがCEOに就任した1978年、エルメスはすでに高級ブランドとしての地位を確立していましたが、グローバルなラグジュアリー市場での競争が激化する中で、さらなる革新が求められていました。デュマは伝統的な職人技術を守りながらも、現代的なマーケティング戦略を導入し、新しい製品ラインの開発に力を入れました。

バーキンバッグの誕生は、このデュマの戦略の成功例として特筆すべきものでした。偶然の出会いから生まれたこのバッグは、エルメスの伝統的な価値観を体現しながらも、現代のライフスタイルに合わせた革新的な側面を持っていました。バーキンバッグの成功は、エルメスのグローバルブランドとしての地位を確固たるものにする一助となりました。

 

秘められた職人技術 – 初代バーキン製作の舞台裏

初代バーキンの製作過程は、エルメスの誇る卓越した職人技術の結晶でした。デュマの指示を受けた職人たちは、彼の描いたスケッチを基に、実際の製品へと昇華させる作業に取り掛かりました。

エルメスの工房では、一つのバッグを一人の職人が最初から最後まで作り上げるという伝統が守られていました。この「一人一個」の製作方式は、大量生産が主流となっていた当時の他のブランドとは一線を画すものでした。初代バーキンの製作を担当した職人は、デュマからジェーン・バーキンの要望を詳細に聞き、それを実現するために最適な素材と技術を選びました。

使用された革は最高級の仔牛革で、手触りが柔らかく、しなやかでありながらも耐久性のあるものが選ばれました。革は丁寧に裁断され、エルメス伝統の鞍縫いという特殊な手縫い技術で縫い合わされました。この縫製技術は、二本の針と蜜蝋で処理された麻糸を使用する特殊な方法で、非常に丈夫な縫い目を生み出します。

金具(ハードウェア)には特別な真鍮製の部品が使用され、職人の手によって丁寧に磨き上げられました。特徴的な南京錠と鍵、そして留め具は、馬具メーカーとしてのエルメスのルーツを感じさせるデザインでした。

初代バーキンの製作にかかった時間は、現在の標準的な製作時間(18〜24時間)よりもさらに長かったと言われています。デュマ自身が何度も工房を訪れ、製作過程を確認し、細部にわたって指示を出したとされています。

初代バーキンが完成した時、デュマはそれをジェーン・バーキンに贈呈しました。彼女はそのバッグを喜んで受け取り、すぐに愛用し始めました。初代バーキンの成功を受けて、エルメスは正式にこのデザインを製品ラインに加え、「バーキン」という名前で販売を開始しました。

当初、バーキンバッグはエルメスの他の製品と同様に、特別なものとして認識されてはいましたが、現在のような入手困難なアイコンバッグではありませんでした。それが徐々に評判を広げ、セレブリティや富裕層の間で人気を集めるようになり、やがて「最も入手困難なラグジュアリーバッグ」という地位を確立していくことになります。

 

 

初代バーキンから紡がれる価値の物語

時を超えて受け継がれるデュマのビジョン

ジャン=ルイ・デュマが初代バーキンに込めたビジョンは、単なるトレンドを超えた「タイムレスな価値」でした。彼はファッションの流行に左右されず、世代を超えて愛され続けるデザインを追求しました。このビジョンは、エルメスのDNAそのものでもありました。

デュマはエルメスの伝統と価値観を深く理解していましたが、同時に時代の変化にも敏感でした。彼が初代バーキンに求めたのは、伝統的な職人技術と現代的なニーズの融合でした。このバランス感覚こそが、バーキンバッグを長年にわたって愛され続ける名品へと昇華させた要因と言えるでしょう。

デュマのビジョンは、彼の後を継いだエルメスの経営陣にも受け継がれています。現在も、バーキンバッグの基本設計と製作哲学は初代モデルの精神を守り続けていますが、同時に時代のニーズに合わせた進化も続けています。この「変わらないもの」と「変わるもの」のバランスこそが、エルメスというブランドの強さの源泉なのです。

 

初代バーキンを彩る伝説と神話

初代バーキンの誕生には、いくつかの伝説や神話が付随しています。最も有名なのは、もちろんジェーン・バーキンとジャン=ルイ・デュマの飛行機での偶然の出会いですが、この物語にも様々なバージョンが存在します。

ある説によれば、ジェーン・バーキンはデュマがエルメスの社長であることを当初知らず、単に隣に座った紳士的なフランス人として会話を楽しんでいたとされています。また、デュマがスケッチを描いたのは実際にはエアシックネス袋ではなく、機内食のメニューの裏だったという説もあります。

また、初代バーキンが完成してジェーンに贈られた際のエピソードにも諸説あります。ある話では、デュマが完成したバッグを持ってジェーンのアパートを訪問し、彼女が泣いて喜んだと言われています。別の話では、ジェーンがエルメスの店舗に招待され、そこで初めて自分の名前が冠されたバッグを見て驚いたとも言われています。

これらの物語の真偽は定かではありませんが、こうした「神話」がバーキンバッグの魅力をさらに高めていることは間違いありません。人々は単に高級バッグを購入するのではなく、その背後にある物語と価値観を手に入れたいと願うのです。

 

現代に息づく初代バーキンの精神

現代のバーキンバッグも、初代モデルと同様に、一人の職人によって手作りされています。エルメスの職人たちは5年以上の訓練を経てはじめてバーキンバッグを作る資格を得るとされ、一つのバッグを完成させるのに18〜24時間の作業時間を要します。この「一人一個」の製作哲学は、デュマが初代バーキンで確立した価値観そのものです。

初代バーキンが生まれた1984年当時、エルメスは主にフランスと欧州で知られるブランドでしたが、現在では世界中に顧客を持つグローバルブランドへと成長しました。しかし、その成長過程で大量生産に走ることなく、一つ一つの製品に対する職人のこだわりと情熱を保ち続けたことは、デュマのビジョンの勝利と言えるでしょう。

特筆すべきは、初代バーキンから現代に至るまで、バーキンバッグが単なるファッションアイテムを超えた存在であり続けていることです。それは持ち主のライフスタイルや価値観を表現するパーソナルな存在であり、また時には投資対象や文化的アイコンとしての側面も持っています。

デュマが初代バーキンに込めた「実用性と美しさの融合」という理念は、現代のバーキンにも脈々と息づいています。例えば、2010年代に導入されたリネンの裏地を施したバージョンや、より軽量化された素材を使用したモデルなどは、初代バーキンの実用性を追求する精神を受け継いだ革新と言えるでしょう。

初代バーキンから学ぶべき最も重要な教訓は、「本物の価値は時間が証明する」ということかもしれません。一時的な流行や宣伝ではなく、本質的な価値と職人技術に根ざした製品だけが、時を超えて愛され続けるのです。エルメスがバーキンバッグの大量生産や過剰なマーケティングを避け、その希少性と品質を守り続けているのは、デュマが初代バーキンで示したこの哲学を忠実に守っているからでしょう。

 

 

初代バーキンから学ぶブランドの真髄

偶然から生まれた必然の成功

バーキンバッグの誕生は、偶然の出会いから生まれた物語ですが、その成功は決して偶然ではありませんでした。ジャン=ルイ・デュマとジェーン・バーキンの飛行機での出会いは確かに運命的でしたが、その後のバーキンバッグの成功は、エルメスの深い伝統と職人技術、そしてデュマの卓越したビジョンによる必然だったのです。

デュマが飛行機内でジェーン・バーキンの要望に耳を傾け、即座にそれを具体化するスケッチを描いたことは、単なる商機の発見以上の意味がありました。それは「顧客の声に真摯に耳を傾け、最高の技術でそれに応える」というエルメスの理念そのものでした。このようなブランドの本質的な価値観が、バーキンバッグを一過性のヒット商品ではなく、長く愛され続ける名品へと育てたのです。

初代バーキンの成功から学べることは、最高のブランド価値は「偶然を必然に変える力」にあるということでしょう。エルメスは偶然の出会いを単なるエピソードで終わらせず、それを自社の伝統と技術、そして価値観と融合させることで、新たな伝説を創造したのです。

 

伝統と革新のバランスが生み出す永続的価値

初代バーキンが今なお多くの人々を魅了する理由は、その製品に込められた「伝統と革新のバランス」にあります。エルメスは何世紀にもわたって受け継がれてきた伝統的な技術と価値観を大切にしながらも、時代のニーズに合わせて柔軟に進化する姿勢を持っています。

デュマが初代バーキンに示したのは、伝統に敬意を払いながらも、それに囚われない革新的な精神でした。彼は馬具製造で培った伝統的な縫製技術や金具の知識を活かしながらも、現代女性のライフスタイルに合わせた機能性と美しさを追求しました。この「温故知新」の姿勢こそが、エルメスというブランドの真髄なのです。

現代のラグジュアリーブランドが直面する大きな課題の一つは、伝統と革新のバランスをいかに取るかということです。あまりに伝統に固執すれば時代遅れとなり、逆に流行を追いすぎれば独自性を失ってしまいます。初代バーキンはこの難題に対する完璧な解答を示し、その後のエルメスの指針となったのです。

 

物語が紡ぐブランドの魅力

初代バーキンから学ぶ最も重要なレッスンの一つは、優れたブランドには「物語」が不可欠だということでしょう。バーキンバッグの魅力は、その美しいデザインや卓越した品質だけでなく、その誕生にまつわる物語にもあります。

ジェーン・バーキンとジャン=ルイ・デュマの飛行機での偶然の出会い、カゴバッグからこぼれ落ちた中身、エアシックネス袋に描かれたスケッチ、そして完成したバッグを喜ぶジェーンの姿。これらの物語は、バーキンバッグに単なる高級品以上の深みと魅力を与えています。

優れたブランドストーリーは、製品に魂を吹き込みます。人々が高級品に求めるのは、単なる物質的な満足ではなく、その背後にある物語、価値観、そして世界観なのです。初代バーキンの物語は、その後のエルメスのブランディングに大きな影響を与え、「物語の力」をブランドの中核に据える契機となりました。

 

 

結びに:初代バーキンが語りかける未来への示唆

初代バーキンが誕生してから約40年、このバッグは単なるファッションアイテムを超えて、時代を象徴する文化的アイコンへと成長しました。その背後には、ジャン=ルイ・デュマのビジョンと、エルメスの職人たちの卓越した技術があります。

初代バーキンが現代に語りかける最も重要なメッセージは、「本質的な価値は時間が証明する」ということでしょう。一時的な流行や派手なマーケティングではなく、真の品質と誠実なものづくりの姿勢が、長期的な成功をもたらすのです。

また、初代バーキンは「顧客の声に真摯に耳を傾ける」ことの重要性も教えてくれます。デュマがジェーン・バーキンの要望に耳を傾け、それを実現したように、真のラグジュアリーとは顧客一人ひとりを大切にする姿勢から生まれるのです。

さらに、初代バーキンは「伝統と革新のバランス」の重要性も示しています。伝統に敬意を払いながらも、時代のニーズに合わせて進化する柔軟性。この両立こそが、永続的なブランド価値を生み出す源泉なのです。

バーキンバッグが今後も世界中の人々を魅了し続けることは間違いないでしょう。それは単に希少性や高価格のためではなく、その背後にある深い物語と価値観、そして何よりも初代バーキンから脈々と受け継がれる「本物を追求する」精神があるからです。

初代バーキンの秘密を知ることは、単に一つのバッグの歴史を知ることではありません。それは、真のラグジュアリーとは何か、時代を超えて愛される価値とは何かを考える機会でもあるのです。初代バーキンに込められたジャン=ルイ・デュマの想いと哲学は、現代のファッション業界、そして私たちの消費のあり方に対しても、多くの示唆を与えてくれているのではないでしょうか。

時を経るほどに深まる魅力。それこそが初代バーキンから現代のバーキンまで一貫して受け継がれる、エルメスの真髄なのです。

 

 

 

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